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母と姉が語った引き揚げの苦難の記憶城陽市酒井千津子(69歳)雨の日の縁側で繕い物をしながら、母は独り言のように、小学生の私に引き揚げのことを語ってくれた。「結婚しようと思ってた人が戦死してな。『誰でもええわ』と思って、2人の小さい子を抱えて困っていたお父さんのとこへ来たんや。けど、結婚式を挙げて、らしんお父さんの赴任先の羅津に着いて1カ月もたたんうちに避難命令が出て、鍋と毛布と、ほんの少しの着替えを持ったまま家を出たんや。」羅津は北朝鮮の中でも最も北だ。列車は走っていない。線路伝いに、とにかく南へ南へと歩いた。当時5歳の兄の背中にも毛布がくくりつけられた。知らないおじさんに「ぼく、その毛布重いだろ。持ってあげる」と言われて、兄は喜んで預けたらしい。毛布はそのまま返ってこず、残り1枚の毛布で4人が寝ることになった。近所の足の悪い娘さんが、両親に置き去りにされていた。見かねた父が手を引いたり、負ぶったりしながら連れて歩いたが、すでに自分の子どもたちだけでも精一杯だった。途中、人通りの多いところで「ここで待っていたら、きっと君のご両親に会えるから」と、置いてきたそうだ。お金がなくなると、父は頼み込んで農家の手伝いをしてお米や大豆をもらってきた。母は用を足すふりをして畑に入り、こっそりかぼちゃをもらってきたそうだ。母が亡くなってから、当時8歳だった姉に「引き揚げの時のこと、覚えてる?」と聞くと、「あんな惨めなこと、誰にも話してないわ」と、ポツリポツリと語ってくれた。「大豆はよう炊けへん間に食べたし、いつも下痢してなあ。お風呂にも入れへんし、ノミが体中にわいて、プッチンプッチンつぶして。農家の軒先を借りて寝たり、野宿の時は竹の先と先を結んで屋根にしたり。誕生日にお父ちゃんが買ってきてくれた人さし指くらいの魚が、1年半かかった引き揚げ中の一番のごちそうやったわ」と。今から思うと、母はあんな惨めな体験をする戦争は二度とごめんだと伝えたかったのだろうと思う。「みんなでいこうピース&ピース」を開催しました!6月2 1日(木)、平和を願うイベント「みんなでいこうピース&ピース」を開催しました。午前中は京都テルサで講演会「語りでつづる原爆の子の像六年竹組の仲間たち」を開催。「原爆の子」の像のモデルささきさだことなった佐々木禎子さんの同級生であるかわのとみこ川野登美子さんが語り部となり、「原爆の子」の像と、建立に関わった「六年竹組の仲間たち」のお話をみんなで聞きました。その後は「みんなで平和を願って変わり折り鶴を折ろう」と題し、日本折紙協会京都支部まついかよこ松井佳容子さんに折鶴の折り方を教えていただきました。午後からは「2018ピースパレード」を行ないました。円山公園ラジオ塔から八坂神社、四条通を通って市役所前まで、午前中に折った折鶴を沿道の人に配りながら歩きました。今年は梅雨のわずかな晴れ間で蒸し暑い1日でしたが、平和を訴えながらのにぎやかなパレードとなりました。コーポロ2018年8月号07