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小学5年生の戦争体験の記憶京都市北区大溝恵美子(87歳)戦時中、私は家族5人(祖母、叔母、母、私、弟)で福岡市の中心部に暮らしていた。1945年6月19日、福岡大空襲に遭った。深夜に警報が鳴り、爆弾が降ってきた。近くの山に逃げ着くと、米軍のB29爆撃機が焼夷弾を投下してきた。私たちは六角形の火を吹いて落下する焼夷弾から逃げ回った。見ると、街は火の海だった。その後、祖母と弟と私は佐賀県鹿島の親戚宅に疎開した。鹿島は有明海からB29が侵入してくる入口のようで、B29が編隊で飛んでいるのを幾度か見た。敵とはいえ、機体が銀色に光り、なんと美しい光景かと思った。小学校は片道一里※ほどあり、下校時にB29の機銃掃射を受けたが、道路脇の積み藁の中に逃げ込み助かった。母たちが「家族が離ればなれで死ぬのは嫌だ」と言い、自家に戻ることになった。駅で列車を待っていた時、小学5年生だった私の握り拳ぐらいの青い光が遠くに見えた。8月9日、原爆が長崎に投下された瞬間だった。駅のラジオから「ただいま長崎に風船爆弾が投下された」と放送されたことを記憶している。駅に着いた列車は長崎付近を通ってきたのだろうか、窓ガラスは割れ、ケガ人がいて、それは見るに堪えなかった。8月15日には玉音放送を自宅で聞き、母たちが泣いていた。よくぞ命があったものだと、今も8月が来ると思い出します。このような悲惨な戦争が二度とあってはいけません。全世界が平和であることを願っています。※一里…4km弱京都生協組合員限定舞鶴引揚記念館の入館料を援助します平和学習にぜひお出かけください期間限定8 / 28(土)まで第二次世界大戦終結後、舞鶴は主に旧満洲や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となり、約66万人を迎え入れました。舞鶴引揚記念館は、引き揚げの史実を未来に伝え「平和の尊さ、平和への祈り」のメッセージを発信しています。対象組合員本人+引率する学生(小学生~大学生)4人まで一般料金組合員優待料金大人400円無料学生(小学生?大学生)150円無料【注意事項】・入館時に組合員番号が記載された書類をご呈示ください。呈示がないと援助の対象となりませんのでご注意ください・開館時間が変更になる場合があります。事前にホームページなどでお確かめください舞鶴引揚記念館〒625-0133京都府舞鶴市字平1584番地引揚記念公園内0773-68-0836開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)休館日:12月29日~1月1日、毎月第3木曜日(8月と祝日を除く)コーポロ2021年8月号