60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

戦争は人を悪魔に左京区 K.Kさん

  • 引き揚げ

中国からの引き揚げで見た〝地獄絵〞

昭和20年、軍属として中国に渡り平旺国民学校の教員になった矢先に終戦。それから半年、水平線にビロードのベルトの様に見えた島々に「あれが日本だ!」と叫ぶまでの永い引き揚げ生活。そこで見た〝地獄絵〞と〝臭い〞は昨日のことのように忘れない。否、忘れられない。
場所は全く不明。ギィーっと貨車が止まり、ドカドカと現地人数人が来て「オマエ、オマエ、オリル!」と銃で小突く。わたしのほか15人程が引きずり降ろされ、デコボコの荒野を10分程歩いただろうか。突然目の前に大きな池が広がった。異臭と刺激で目が痛い。見ると、池の廻りには山のように折り重なった裸の女の死体。そのどれもが、目の玉はくずまんじゅうの様に飛び出し、ハラワタは引きずり出されている。そして何十匹もの野犬がすさまじい唸り声をあげて、その腹部に頭を突っ込み、貪り食っている。まさに〝地獄絵〞そのもの。連行された何人かは「ギャーッ!!」と叫びながら元きた方へ走り去る。残ったのは数人。残ったのではなく足がすくんで動けなかったのだ。

「こんなことができる人間には育てないで」

その時、どこから来たのか一人の青年が、兵士によって殺されたのだと、話してくれた。そして「あなたたちは日本に帰ってから結婚し、子どもを産むでしょう。大きくなって、こういうことが平気でできるような人間にだけは育てないでください」と静かに語ってくれた。青年は「戻りましょう」と送ってくれたが、貨車につく頃にはもうその姿は無かった。