60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

終戦二年後 変わり果てた大阪で見たもの北区 北村さん

  • 戦後

戦争が終わって二年後、私が小学五年生のときに母親が入院しました。病院は、小学校入学前(戦前)に行った動物園のある、天王寺にありました。
母の見舞いに天王寺駅に立ち驚きました。建物は何もない焼け野原。「あの天王寺の街が…」と息をのみました。駅のホームから降りると、片足のない傷痍軍人が白い着物を着てギターを弾き、構内には私と同じ歳くらいの子どもたちが右往左往していました。みな、靴はなく、汚れた服を着ています。家を焼かれ、親を失った子が行き場がなく集まって生きているのでした。現代のように、仮設住宅や食べ物の配給もありませんでした。
戦争という名のもと、破壊された生活の基は、長い年月もとに戻ることはありませんでした。「白いごはんをお腹いっぱい」は夢の中で長い間思い描かれていました。