60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

大切な人を持ち続ける舞鶴の港長岡京市 上田さん

  • 引き揚げ

私は舞鶴出身。終戦になったときは小学校の低学年で、学校から日の丸を持って、平桟橋にシベリアからの引き揚げ船を迎えに行った記憶があります。
私が中学生になったときには、戦後数年たってもまだ帰国されない家族を待ち続けながら、学校のお手伝いをしてくださっていた女性がおられました。お連れ合いをお待ちのようでしたが、結局帰国されなかったようでした。