60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

亡き父が見た東京大空襲PN.新緑好子さん

  • 空襲

父が亡くなって4年になります。父は、普段は戦争のことは一切口に出しませんでしたが、お酒を飲むと東京大空襲のことを話してくれました。
当時、父は大学生で、下町のあたりに下宿していました。大空襲のあった日、空を見上げると数えきれないほどの飛行機が焼夷弾を雨のように落としたのだそうです。「とにかく逃げよう。」父は身ひとつで、線路づたいに山の手の方に走りました。人々の頭に焼夷弾が直撃したり、前を走る人がバタバタと倒れていく中、父は必死の思いで逃げ延びたそうです。
空襲が終わり、下宿へ戻る道々には亡くなられた方の遺体が少なからずあり、父の住んでいた下宿は影も形もなくなっていたそうです。
父は男ばかりの5人兄弟の末っ子でした。私は小学生のころ、夏休みは父の実家に1週間ほどお世話になっていました。父方の祖母は、毎朝5時に起きて仏壇に手を合わせていました。仏壇の上には、父の兄2人が軍服を着ている写真が掲げられていました。今思うと、戦争に子どもを取られた祖母は、さぞ悔しく、苦しかっただろうと思えてなりません。
今でも世界の各地で戦争やテロが起こっています。子どもの命がいとも簡単に失われている今の状況と、日本の不安な動きに対して、子どもたちや若い人たちのため、何かできることを行なっていきたいと思います。