防空壕京都府八幡市 服部雅庸さん
- 空襲
戦時中のこと。長男は母の実家(田舎)に疎開。父母と次男は大阪で暮らしていました。たまたま父が外出中、大阪への空襲が始まりました。焼夷弾が雨あられと降り注ぐ中、母と次男は逃げまどい、やっとの思いで防空壕へ命からがらたどり着きました。中に入ろうとしましたが、「いっぱいや」と言われ入れてもらえず、仕方なく他の防空壕を求めて移動。頭に座布団をかぶり、はぐれてはいけない、と母は次男の手を引っ張り、右往左往。時を忘れ逃げまどいましたが、防空壕はどこもかしこもいっぱい。そのうち、解除のサイレン。ホッとして最初の防空壕あたりに差しかかると、その防空壕は焼夷弾の直撃を受けたのか、跡形もなく木っ端みじんで、大きな穴ぼこができていました。運命のいたずらでしょうか。
母は90歳の長寿を全うし、次男は今も元気で仕事を続けています。戦後生まれの3人の弟たちは、母からよく当時の話を聞かされていました。そして母は必ず「戦争は絶対にしたらいかん」と、力強く付け加えるのを忘れませんでした。