60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

お盆京都府八幡市 服部雅庸さん

  • 戦後
原 本

母方の祖父母は田舎暮らしで、空襲には遭いませんでしたが、長男を陸軍に徴用され、長男は南方で戦死しました。戦地はフィリピンと聞かされていましたが、本当のところは判然としなかったようです。石ころが入った骨壺が、ひっそり手渡されました。
戦後数年になっても、祖父母は「必ず長男はひょっこり帰ってくる」といって、待っていたとのことでした。

私たち兄弟が夏休み、祖父母のところへ口減らしの里帰りをすると、にぎやかな状況に一変。ただ一角にある仏壇には、陸軍兵姿の遺影がひっそりとろうそくの光に照らされ、浮き上がっていた情景が忘れられません。