幼き日の戦争体験京都府城陽市 戸山初美さん
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私が9歳の春だったと思います。出征している父の面会日の通知が来たので、母と長女である私は、父の好物のおはぎを重箱に入れ、1歳の弟を背負い、朝5時から徒歩で3㎞の道のりを駅まで歩き、電車を乗り継ぎ、舞鶴の海軍宿舎まで父に会いに行きました。
父は水兵さんの制服を着ていて、おいしそうにおはぎを食べていたのを思い出します。父は私の頭に手をやり、よく来てくれたと涙を流していました。
私たちが海軍宿舎に出かける前に、近所のおばさんが泣いて見送ってくれました。当時は隣り同士で助け合う付き合いをしていました。辛いこと、悲しいことができると、すぐに皆さんが家に来て励ましてくれて、現代では考えられないような時代でした。
終戦の1年前だと思います。B29が恐ろしい音で家の上を通り過ぎて、木津川の河川敷に墜落しました。ものすごい黒煙があがりました。
私の父は出征していたので、祖父と一緒に走って見に行きました。私の家から15分ぐらいのところです。大きな飛行機が黒く焼けて、男性の大きな靴が片方だけ黒焦げになり、転がっていました。私は子ども心に「家の上に落ちないでよかった」と思い、恐怖で震えが止まりませんでした。もう1人の乗員は落下傘で東方面に落ちたと聞きました。
10歳の8月15日の12時に終戦の発表があり、本当に安心しました。これであの怖いB29が飛んでこないと思い、ホッとしました。けれど、その後も食べ物がなく、毎日家で作っていたかぼちゃ、じゃがいも、さつまいもなどを入れたおかゆと梅干しで、常に空腹に苦しんでいました。学校には通っていましたが、お昼は家に帰っておかゆを食べ、再び学校へと戻る生活でした。白いご飯が食べたくて、魚や肉も欲しくて、夢を見ても食べ物のことばかりでした。
戦争は二度と起こしてはならないと思います。今はいろんなおいしい食べ物があり、幸せな時代です。今の日本の平和をありがたく思います。