60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

こんぺいとうをくれた兵隊姿のお父さん村上美千子さん

  • 空襲
  • 戦後

戦争も終わりに近くなると毎日、昼夜を問わず空襲があり、眠たいのに引き起こされ、水がポタポタ落ちる防空壕へ引きずられるようにして連れて行かれたのを覚えています。

食料もだんだん少なくなり、母は私と兄をリヤカーに乗せて田舎へ行っていました。着物とわずかな農作物との物々交換でしたが、何とか5人の食事に換えて耐えていたと思います。芋や芋づるの上に米がパラパラ乗っている程度でしたが、空腹には代えられないのでみんなで1粒残さずいただきました。

戦争が終わり、家の格子の中から毎日軍服を着た人が通るのを見ていました。ある時、こんぺいとうの袋をくれた人がいました。当時、私は父の顔を知らなかったので、「あの兵隊さんからもらったヨ!」と母に告げると、「あんたのお父ちゃんや」と言われ、信じがたい思いをしたのが今も忘れられません。

戦後は、家のあちこちが弾で焼けたり、穴があいたりしていました。雨風が入るので、家中の鍋を部屋に置いて雨水を受けていました。押し入れの中の布団に上から下まで弾が突き抜けているのを見て、母は「この中に逃げなくて良かったね」と言いながら布団を修繕していました。

戦後の復旧は全国共に大変だったと思われますが、私は「生きていて良かった!」と年を重ねるたびに思います。戦争は人を苦しめても楽にはしてくれません! 世界でもいまだに戦争に苦しむ人々の姿を見ると、いつも他人事でないと胸を痛めています。世界の平和が実現するのはいつになるのかと考えさせられる日々です。