60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

食料難とイナゴ小南悦子さん

  • くらし

昭和9年生まれの私は、大東亜戦争の体験者。また、戦争の犠牲者の1人として「平和への思いをつなぐ」の表題の下に戦争体験を思い出し、記憶をたどり、「二度と戦争が起きない世界を!」と、強く訴えなければなりません。

当時は食料難時代。田舎に住んでいても、生産者ではない非農家は、米などは家族数に応じて政府から配給という形で支給されていました。主食である米は、戦地へ送るために減らされてしまいます。育ち盛りの子どもたちも、お茶碗一杯のご飯では満足できず、「もう一杯ほしい」と駄々をこねるのでした。親は子どもたちにもう一杯食べさせてやりたいのに、釜の中にはご飯がないという状態でした。

稲の穂が実るころ、稲の害虫であるイナゴが発生します。イナゴが成育すると約2~3㎝の大きさになり、体は緑色、羽は薄い褐色で稲から稲へと飛び、稲の汁を吸います。ちょうど稲の実る夏から秋に活動します。そのイナゴを食べようと考えたのは、誰かわかりません。とにかく、米の汁を吸っているということから、食用にと考えたかと思います。直径4~5㎝の竹筒を布袋にはめ込み、その筒に捕ったイナゴを入れ、手のひらで口をふさぎ、イナゴが逃げ出さないように家へ持ち帰ります。家では湯を沸騰させ、袋ごとイナゴをじゃぼんと入れます。湯から上げたイナゴの羽や足を取り、炮烙(ほうらく)でカラカラにいり、しょうゆをからめてできあがりです。子どもたちには人気がなく、その後はやらなくなったようです。

※ 素焼きの、平たい土鍋。茶や豆、塩などをいるのに用いる。また、胡麻 (ごま) や茶をいる専用の器として、縁が内側にめくれて、柄のついた小型のものもある。ほうらく。