60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

京都への移住森郁子さん

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私は東京で生まれ、小学1年まで東京に住んでいました。
人生の分岐点ともなった戦争は、終生忘れられない体験でした。燈火管制(とうかかんせい)で灯りが外へもれないようにしたり、空襲警報で防空壕に逃げたり、B29の爆音に恐怖を感じる日々でした。

戦争が激しくなり、父と兄は東京にとどまり、母と私たち兄姉は父の故郷の福井へ。そして母の故郷、京都へと住まいも変わり、慣れぬ土地の生活は子ども心にも辛抱の二文字でした。

人間は何ゆえこんな恐ろしい戦争をするのかと、幼な心に悲しみを隠すことができませんでした。家も焼失し、東京へ戻れるとの望みもかなうことなく、母の故郷に永住することになり、現在に至っています。

平和と言われながらも世界のあちこちで戦争が続き、悲惨な現状に、どうすれば戦争が起きないのかと考え込んでしまいます。力の弱い者の願いは、いつになったらかなうのでしょうか。

※ 夜間、空襲に備え、灯火を消したり覆ったりして光がもれないようにすること。