ハルビンでの生活水谷伸子さん
- 満州開拓移民
- 終戦
ハルビンで生まれ、父の転勤で知らない町へ行き、そこで子どもたちは終戦を知りました。1日誰にも会わずという日が続き、恐ろしかったです。その中で、ソ連兵だけがタバコをふかし、わが春とばかりにスキップをして通ります。その様子をそっと家の中からのぞいては、父からは「危ない」と叱られていました。「若い女性はさらわれる」とのうわさが流れていました。夜はあちこちで暴動が起き、ピストルの音が聞こえると、畳を窓に立てかけ、過ぎていくのを待ちました。
当時住んでいた場所が危険なので、大きな広い庭のある所へ、夜を待って逃げました。恐ろしいことはいろいろありますが、そのころの出来事です。父と中国人の王(ワン)さんが鶏の羽をむしっていたら、高い塀を乗り越えて4人のソ連兵が入ってきました(1人は子どもでした)。腕に何本も時計をしていましたが、もっと欲しいらしく、王さんの時計も取られました(父は素早くポケットへ)。あとで王さんにあげていました。うれしくて泣いていましたね。兵隊は満足して帰りました。
何しろ広い庭なので、飛行機に乗っている人の顔も見えます。チョコレートをくれたけど、母は「毒かも」と言って捨てました。残念でした。「日本人と分かると殺すらしい」と言われていたので、下駄や服はみんな隠したり燃やしたりしましたが、単なるデマに終わりました。平和が何よりです。