満州で経験した3つの恐怖米澤龍子さん
- 満州開拓移民
- 引き揚げ
「満州国の仕事をしている人たちは、新疆(しんきょう)※1に集合」とのことで、ハルビンから汽車で行く。でも新疆では下車できず、無人で列車が走っているようにカモフラージュして逆戻りである。行きと帰りとでは、車内は全然違って、カーテンを閉め、真っ暗で物音を立てないようにしていた。異様な中で子どもたちは泣きたくもあるが、親は泣かせまいと口をふさいだりして、音を出さぬよう必死だった。
やっとハルビンの駅に着き、日本国は敗戦したのだと知った。2、3日して、夕方、父たちは役所に呼び出されて帰宅せず、シベリアに送られた。私たちも田舎の方へ、夜中にトラックでロシア兵に連れて行かれた。
しばらくして、母の知人の家へ移った。でも、そこで恐ろしいことがあった。夜になると「娘はいないか」とロシア兵が部屋に入ってくる時があった。それで、交代で入り口の方に寝ることにした。母と私が入り口のところに寝る番が来て、寝ていると、足音が部屋の前で止まり、入ってきた。そして、布団をはぎ取った。母は「出て行きなさい」と大声で何回か言ったと思う。すると、ロシア兵は何か言って、笑いながら出て行った。母や部屋の人たちは、全員震えていたと思う。
そのことがあって、親せきの家でお世話になることになった。近くに満人※2も住んでいて、私が外で遊んでいると「日本人は負けたのだ」と唾をかけられ、足を踏まれたので、外には出なかった。
いよいよ内地へ引き揚げとなり、集団で長距離を歩き、無蓋車(むがいしゃ)※3に乗って船着き場のコロ島まで行った。無蓋車は遅く、時々停車したりしたので、その時に焼き芋などを買って食べた。「山の近くを通る時、盗賊が馬でやってくるので、みんなでできる限りの大声で“オー”と悲鳴をあげること」との伝達で、みんなは今か今かと待っていた。盗賊は鈎(かぎ)型の長い棒で荷物を取りにくると聞き、私にケガをさせないようにと、母は腹ばいになって体の下に私を入れて待った。遠くの方から大きな声が聞こえてきて、私も母の下から大声を出したと思う。大声のせいか盗賊は帰って行った。皆さんの力が1つになって盗賊を撃退でき、本当に良かった。
80年近く経った今でも、恐ろしかった新疆からハルビンまでの列車内、ロシア兵、盗賊のことは、はっきりと覚えているし、思い出すことも多々ある。これらのおかげで自分は強くなって、あの時のことを思い出すと、こんなことは何だと思えるようになったのだと。でも、こんなに恐ろしい経験はもういらない。これからの人には、もっと素晴らしい経験をして、強くなってほしいと願いつつ、ペンを置く。
※1 中国北西部にある新疆ウイグル自治区のこと
※2 満洲国に在住する人のこと
※3 屋根のない箱のような貨車