平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

広島原子爆弾投下の日の話古郷泰子さん

  • 伝聞
  • 被爆
原 本

 私は現在64歳、私自身の体験ではありませんが、母方の祖母が体験したこと→実母に伝えた話→母から私がよく聞かされた話で、戦争を知らない世代へ、ぜひ伝えたい話だと思い、筆をとりました。

 私の祖母は島根県、今でいう邑智(おおち)郡 邑南(おおなん)町高見に住んでいて、農業を営んでいました。1945年8月6日、原爆投下当日、朝8 時過ぎ。いつものように畑仕事をしていた祖母は、空がピカッと光ったのに驚き、「こんな晴れて良い天気の時に、雷が落ちたんだろうか」と思い、光った方向(広島の方)を見ると、間もなく、もくもく、もくもく…と、灰色の雲が空高く湧き上がってきたということです。祖母は訳も分からず眺めていたそうです。どのくらいの時間かは聞いていませんが、しばらくして口伝えに「今、広島がえらいことになってるそうな!焼けただれた人が、『熱い! 熱い! 水! 水!』といって、川に向かって歩いて行ってるそうなー」という話を聞いたそうです。

 私がいつも母から聞いた話は、ここで終わりです。
話を聞く度にこの時の広島の状況が目に浮かび、胸が締め付けられ、涙が出てきます。祖母も母も亡くなり、私は自分の娘にも話しましたが、この貴重な話はどこまで語り継がれていくのかな…と思っています。