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【参加報告】ピースアクションinオキナワ ~第41回沖縄戦跡・基地めぐり~
- 2024年04月30日
- とりくみ・活動
2024年3月27日(水)~3月29日(金)にかけて、日本生協連と沖縄県生協連が毎年取り組む、ピースアクションinオキナワに、京都生協から高校生含む計6人で参加しました。
開催テーマは「沖縄から学ぶ過去・現在・未来」です。
▶1日目の学び
学習講演会で、自分なりに考え、2日目からのフィールドワークで気づきを深めていくヒントをたくさんいただきました。
学習講演会
▶2日目午前の学び
フィールドワークスタート!バスの中で、平和ガイド川満 彰さん(沖縄国際大学非常勤講師)のお話を聞きながら
沖縄本島北部名護市に向かいます。北部には島内疎開やアメリカ軍の作った収容場が多くあったそうです。
「その土地ごとに戦争のありようがある」(平和ガイド川満さん)
バス内部の様子
自然豊かで美しい大浦湾・瀬嵩(せだけ)の浜より、辺野古基地建設現場が見えます。
大浦湾北部から見た辺野古基地建設現場
▶2日目午後の学び
●チビチリガマへ
ガマの入り口を少し上がったところから海が見えます。近いです。
チビチリガマ入口から海が見える
1945年4月1日、沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)にアメリカ軍が上陸しました。
チビチリガマの碑文には集団自決で亡くなった方の名前と当時の年齢が刻まれています。多くが子どもや女性でした。住民を追いやったものは何だったんでしょうか。
チビチリガマの石碑
●嘉数高台(かかずたかだい)へ
アメリカ軍が最初に上陸した海岸が見渡せ、最初の激戦地となりました。
多くの犠牲者の霊を慰めるための慰霊の塔が建てられています。
慰霊の塔
目の前に宜野湾市にある普天間基地と基地を取り囲むように、ひしめき合って住宅地や学校などの公共施設があります。
嘉数高台より眺める普天間基地周辺
ガイドの川満さんにお話を聞きながら歩きました
▶3日目の学び
フィールドワーク 最終日は、沖縄本島南部へ
車窓から見える山はたくさんの防空壕が掘られているそうです。
車窓から山が映っています
沖縄本島最南端にある沖縄戦終焉の地である摩文仁の丘にある県立平和祈念公園を訪れました。
韓国人慰霊塔
饅頭のかたちは母の胎内を表しているそうです。その周りには韓国の県の石が置かれていて、亡くなった方々が祖国へ帰れるように方角も韓国に向いています。
沖縄戦では様々な経緯で亡くなった方々がいます。
平和祈念公園内に咲いていた野生の百合
●平和祈念資料館
ゆっくりと見てほしい場所です。目の前に穏やかな海も見えている景色が戦場であった過去を忘れないために。
平和祈念公園内資料館上階より見た公園内 海が目の前に
平和の礎(いしじ)
国籍、軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなった全ての人々の名前が刻まれています。
一人ひとりに家族があり人生があったことや、戦争がなければ命を全うしたであろうと思うと、戦争とはどんな理由があっても正当化されることは決してないと改めて思いました。
世界の恒久平和を願って。
奉納した折り鶴
●糸数壕(アブチラガマ)
全長269メートルあり、最初は糸数住民の避難所でしたが、後に陸軍病院分室となり、この時にひめゆり学徒が移動してきました。
ガマの入口の写真
ガマの中を実際に入っていったことが印象的でした。
全員で約30秒間、懐中電灯を消しました。当時に思いをはせました。あたり一面に広がる悪臭、目の前に広がる暗闇や先の見えない日々、聞こえてくる轟音。どれ一つとっても想像を絶するものだったでしょう。生き残った人たちの証言で幾度となくみた「生きるということに意味がある」という言葉の重さも改めて感じました。
アブチラガマの慰霊碑に京都から持参した折り鶴を奉納しました。
高校生2人が折り鶴を奉納
参加者からは、「沖縄の現地を訪れることは大きな学びとなりました。」「ふだんあまり考えないことについて改めて考えるきっかけになるような、本当に貴重な体験をしたので多くの人に、この様な体験に参加してほしいです。」というような感想がありました。
ピースアクションは沖縄から次は広島・長崎へと続きます。
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