60周年

平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談平和への想いをつないでいくために 私たちの戦争・被曝体験談

もっと戦争や平和について学んでください麻依さん

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原 本

「原爆ドームってお化け出るんですか?」
広島で生まれ育った私にとって、衝撃的な一言でした。
私は小さな頃から平和教育を受けて育ちました。小学生の時は、夏休みの宿題には必ず戦争に関する宿題がありました。平和記念公園も原爆ドームもよく訪れる、とても身近な存在でした。毎年8月6日午前8時15分、町中にサイレンが鳴り響き、黙とうをささげました。その日は絶対に川や海に泳ぎに行ってはならないと祖母に教えられ、かたくなに守っていました。
そんな私が結婚して京都に住むことになり、初めて行った美容院の店員さんと何気なく交わした会話が冒頭の一言でした。まさか、そんな風に思われているなんて…。ショックでした。戦争や原爆のことをこんなに軽く考えている人がいるとは思いもしませんでした。
昭和20年8月6日、当時祖父は満州に行って日本のために戦っていたと聞きました。でも祖父は具体的に話をすることはありませんでした。私もそれ以上は聞けませんでした。
祖母は当時呉にいたそうで、8時15分にものすごい音が聞こえたそうです。「呉におったけん、ばあちゃんは助かったけど、広島市におった親類の人らは亡くなったよ」と祖母は言っており、当時の悲惨な状況を度々語ってくれました。そして必ず言うのです。「戦争はいけんよ。二度としてはダメ」
今はもう祖父も祖母も他界しました。でも祖母が語ってくれたことは私の心の中で今でも生きており、一生残るでしょう。祖父と祖母の大切な人生の一部を奪った戦争を絶対に繰り返してはなりません。
そして、広島だけでなく他府県の人にも、もっと戦争や平和について学んでほしいと思っています。一度、広島の平和記念公園や原爆ドームに足を運んでみてください。草木が生い茂り、とても美しい場所なのです。